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 北陸の空は、灰色である。愛想のないコンクリートの街、黒褐色の田畑を、冬の厚い雲が覆う。雪が静かに舞い降りる日は、すべてが純白に包まれて美しい。しかし、その雪もすぐに排気ガスに汚れて、道端を黒く染める。光を失くした濃淡のない景色。北陸の冬は、重く沈んだ灰色の風景が広がる。
 星野川市は、山あいにある人口四万人の小都市である。碁盤の目に整備された町並みと静かな佇まいで、北陸の小京都と呼ばれている。面積の四分の三を占める山林に四方を囲まれた星野川は、豊富な地下水に恵まれ、市内のあちらこちらに清泉(きよみず)と呼ばれる湧き水が見られる。
 この幽邃の地も今年、統一地方選挙を迎える。二月の市議会議員選挙に始まり、三月の知事選、五月の県議選と続き、祭りのように騒がしく賑やかな選挙戦が繰り広げられることとなる。
 一般的に選挙と言うと、一週間余りの運動期間、選挙カーが候補者の名前を連呼して走り回る、あの喧騒の風景を思い浮かべるだろう。でも実際は、事前運動のほうがはるかに長い。そして「清き一票を」と声高に叫ばれるのに反し、一票一万円で汚れた票の売買が行われているようだ。年末には御歳暮として酒が出回る。最後の追い上げで金が動く。すべて噂として聞こえてくる。
 交通課の警察官から聞いた話だが、渡した側と受け取った側の双方が認めない限り、罪にはならないそうだ。それでは誰も捕まらないだろう。そんな選挙の汚れたイメージしかない政治の世界には、まったく興味がなかった。小学校の頃、教室からふざけて手を振り返した記憶。政治とは、それだけの印象だ。立候補者の掲示板には、お年寄りの顔写真がずらりと並んでいる。若い人には無縁の話だ。投票率の低さも納得できる。
 僕もご多分に漏れず、政治に関心のない若者のひとりであった。
 自分が、選挙に出るまでは。

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 四年前の二十八歳の冬、僕は星野川市の市議会議員選挙に立候補した。
 大学卒業後、塾の講師をしながら、自分を表現できる仕事がしたいという漠然とした夢だけを求め、東京の街をさまよっていた自分に、ひとりの政治家から声が掛かったのである。白羽の矢が立ったと言えば美しいが、文学青年である僕にとって、まさに青天の霹靂であった。
 公務員である父の青年時代の夢は、政治家だった。現在は、県議会事務局で次長をしている。政治に関わりの深い父は、これまでも数多くの政治家との付き合いがあった。以前、同じ議会事務局で、議長秘書を務めたこともある。それから、いくつかの部署を回り、三年前に課長として議会事務局に戻ってきた。そして今年の春には次長に昇進し、新聞に顔写真が掲載され、たくさんのお祝いの言葉をいただいた。夢は叶わなかったかもしれないが、二年後の定年をもっともふさわしい場所で迎えることになるのだろう。
 僕の選挙の話が出たのも、そんな父からであった。
 立候補のきっかけは、五年前にさかのぼる。
 お盆に帰省したときのことだ。翌年の市議会議員選挙に立候補してみないかと、ふいに父は言った。星野川市選出の県議会議員に、金森国雄という人がいる。父が世話になっている人であり、父も長いあいだ支え続けてきた。その金森さんが引退するという。そして、市議会議員である甥の石川博人氏が、後継者として県議選に立候補する。その市議の枠に、僕を立候補させるのだという。さらに、石川氏が二期ほど県議を務めたあと、今度は僕が市議から県議へ立候補するというところまで、筋書きはできていた。
 驚くよりも、むしろ冗談だと思った。故郷に帰るつもりもなく、夢だけで東京にしがみついている自分にとって、まったく別世界の話である。
 金森氏は、父の政治センスを認めていただろうし、父には、有名私立大学卒の息子をなんとか立派な者にしたいという思いがあったのかもしれない。この機会に、故郷へ引き戻そうという思惑もあったであろう。
 自分の夢とのへだたりが大きい分、話に現実みがなく感じられた。父の態度も、僕の気持ち次第で話を進めるかどうか決めるしかないために、どこか曖昧な様子であった。
 その場は冗談として受け取って、東京に戻った。しばらく経った頃、電話で同じ話題が出て、初めて現実の話だと気づかされた。「そんなに政治家になりたいんやったら、自分が出ればいいやろう!」と反発する僕に、父は「しばらく考えてみろ」と言って電話を切った。
 そして、ただ時間は過ぎていった。
 立候補の話を聞いてからは、心も穏やかでなく、さざ波は大きな気持ちのうねりとなっていった。
 「故郷の将来のために、自分に何ができるだろうか」と考えた。今までは、自分のためだけに生きてきた。これからの人生、精一杯、人のために働くのもいいではないか。たとえわずかでも、何かしらの役に立てるのではないか。自分を認めてくれる人がいるなら、その気持ちに応えてみたいと思うようになった。
 一ヶ月後、返事は決まっていた。十月の終わり、引越しの荷物をまとめ、帰郷した。
 ここからが、地獄の始まりだ。白羽の矢とは本来、生贄の選定を意味している。
 帰郷後まもなくのことである。十一月に入り、雪もちらつき始めた頃、金森県議が議事堂を出たところで倒れ、亡くなってしまったのだ。脳卒中だった。享年七十歳。市議一期を務めたあと、県議に立候補し、七期三十二年目の在職中である。
 そんな金森さんも一度、落選を経験している。三期目の終わり、次の選挙で当選したら、その次は知事選に、という話が出ていた時だ。
 田舎では、人より秀でた人間を嫌う。横一線が農村社会の暗黙の掟であり、個人の能力差を際立たせる競争は、村落共同体の秩序を脅かす。秩序とは、水平意識に守られた自尊心の集合である。サラリーマン家庭が増えた現在でも、先祖伝来の田畑に深く根づいた村意識は変わらない。純朴と陰湿は、表裏一体である。強い光で他者に影を作らぬ相手にだけ、優しく微笑むことができるのだ。
 金森さんは根も葉もない悪評を流され、さまざまに足を引っ張られて落選した。この不名誉は逆に、この人の優秀さを物語っているのかも知れない。殉職ともいえる言える死は、そんな偉大な人にふさわしいものであったように思われる。
 本来なら、この時点で立候補を諦めたほうがよかったのだろう。これ以降、選挙運動は大変なものなっていく。
 自分自身、読みが甘かったと思う。そのときは、金森さんの死によって、選挙の一切を取り仕切る父の負担が大きくなるだろうと感じただけであった。
 町内の家々を、父に連れられ立候補の挨拶に回ったとき、「選挙は地盤・鞄・看板と言ってな、これまでの選挙は、地域票の地盤、鞄は金やな、この二つが大切やった。これからは変わる。変わらなあかんのや。お前には早稲田という看板があるんやで、大丈夫や。今の議員を見回しても、そんな人間はおらん。これからは、地域のしがらみに捕らわれず、市全体のことを考えられる人間が出てこなあかんのや」と道々、父は話していた。
 それを聞き、自分はこの『看板』に守られるものと、迂闊に信じていたのだ。
 自宅のある白鷺町に事務所を開いて選挙運動を始めるために、まずは町の役員会で立候補の挨拶をさせてもらえるように申し入れた。月に一度の定例会の日、近所にある集会所で、午後七時から会合が始まる。役員全員の承諾が出て呼び出しを受けるまでのあいだ、自宅待機することとなった。
 一時間経っても、連絡は来ない。不安と緊張のために、気持ちは落ち着かなかった。夜九時を過ぎた頃、集会所から電話が入り、役員会での挨拶は取り止めとなった。
 町内から候補者が出る場合、町一体となって選挙運動をしていくために、推薦の有無が重要になる。当人の挨拶よりも、まず推薦すべきか否かが問われたようだ。東京から帰ってきたばかりで地元に馴染みのない者は推薦できないという意見だった。四年間、地区の奉仕活動に参加して、次の選挙に出てはどうかという提案もあった。
 星野川の市議会議員は、一部の政党を除いて皆、地域代表である。候補者は町内の道路や川の整備を約束し、区長から地区の推薦をもらって立候補する。そうして当選した議員に公共事業をお願いするとき、同じ町に長年暮らしてきた者のほうが、いろいろと頼みやすいのである。
 こうして、僕は地盤を失った。
 困惑した様子で「どうする? おまえはどうしたい」と問いかける父に、「やろう。選挙運動を続けよう。最後まで、投票の結果が出るまで、やり遂げたい」と答えた。この選挙のために、故郷に戻ったのだという思いがある。そして、この財政難の時代に、一地区のためだけに議員を出していて良いのか。もっと広く星野川市全体を見渡し、自分たちの住む町を考えなければならない、そんな時代が来ているのではないか。そう、星野川に暮らす人たちに問いかけてみたいと思う。
 それでも、今住んでいる白鷺町と、全く無関係に運動することはできない。そこで、両親が所属し、定期的にバーベキューや海水浴などの親睦のイベントを行っている町内会に協力してもらって、選挙運動を続けることになった。
 十一月は、選挙対策本部を組んだり、公約を記した名刺を作成したり、その他さまざまな下準備で過ぎていった。十二月に入ると、夜六時から九時過ぎまで、父や母、親戚に連れられ、それぞれの知り合いの家々を回るようになった。
 雪が降り積もった道を、長靴で踏むようにして歩く。鋭利な夜の空気が、冷たく頬を刺す。深い闇と重い雪の毛布が周りの雑音を包み込み、この世のすべてを眠らせたかのような幻想の世界で、踏み締める雪の感覚だけが現実に感じられた。
 電柱の街灯を頼りに、町や村を回る。会話の度に、顔の前に白い息が広がった。冷え切った玄関先で、両親や親戚の紹介に続いて、「この度、市議会議員に立候補させていただくことになりました倉知豊と申します。どうぞよろしくお願いします」と挨拶する。ただそれだけのことを言うのに、寒さですぐに口がこわばり呂律が回らなくなる。そのため、次の家に向かうあいだ、口を大きく開けたり閉じたりして唇の運動を繰り返した。
 名刺を渡し、頭を下げて、次から次へと回って歩く。公約を伝える時間はなく、ただ「お願いします」と頭を下げ、「がんばっての」という言葉に「ありがとうございます」とまた頭を下げる。これが票につながっているという実感はなく、機械的に頭を下げ続けるだけの姿に自尊心が傷つくばかりであった。
 保育園の頃からの幼馴染であり、中学の三年間を同じクラスで過ごした佐久間君の家を訪ねた。
 大学一年の夏休み以来、これまでずっと顔を合わせていない。
 佐久ちゃんは高校を出るとすぐ地元の建設会社に勤めた。その年の夏、彼の新車のセダンでドライブに出かけた時のこと。車中いろいろとお互いの近況報告をした。東京や大学、仕事について。文学部に入学した僕は、将来の夢について「いつか小説家になりたいんや」と話すと、佐久ちゃんは「もっと現実を見たほうがいいよ」と答えただけだった。生活環境が大きく変わり、会話も微妙にすれ違った。
 それからは連絡を取り合うことも少なくなり、二年後、母から、彼が中学のクラスメートの宮田良美さんと結婚したことを聞かされた。決まりの悪さを押し隠して、ただ「ああ、そう」と答えた。三歳からの付き合いである。最も古い友人であり、一番よく分かり合えていると考えていたのは、僕だけだったのだろうか。
 次に顔を合わせたとき、「結婚したんや?」「あぁ、うん。倉ちゃん、東京やったで、連絡できんかったんや。悪かったのぉ」と、自然に会話を進められるのだろうか。言葉が途切れたときのバツの悪さを思うと、帰省のたび、つい彼の家の前を通るのさえ避けるようになっていた。
 それでも、地盤のない町内で誰か頼れる友人が必要な今、真っ先に思い浮かんだのは、やはり佐久ちゃんだった。ためらう気持ちもあるが、選挙の話題をきっかけに交友関係が復活するのではないかという淡い期待もしている。
 ゆっくりと玄関に近づくと、家の前には佐久間君のお父さんがいた。「義男は今、車庫やわ」と言われて、少しほっとしながら車庫へと向かう。そして裸電球の黄色い灯りの向こうの暗がりに、「佐久ちゃん」と呼びかける。車の陰から出てきた佐久ちゃんは、少し驚いた様子で「おお、久しぶりやのう」と言い、僕はそれからの話の展開を考えながら、複雑な気持ちで「うん」とだけ答えた。
 「ここは寒いで、家のほう行こうか」と促しながら、佐久ちゃんは「今日はどうしたん」と聞いた。「今度、市議選に出ることになってなあ。金森さんの勧めがあって、こっち帰ってきたんや」と答えると、「そおかぁ、噂では聞いてたんや。ほんで、どうなってるんか心配しててん。がんばってや。ほう言うことなら、いくらでも応援するで」と、友達の出馬を心から喜んでくれている様子で、僕もそれが本当に嬉しく、照れ笑いしながら「ありがとう」と言った。
 「手伝えることがあったら、何でも言うてや」と僕の肩をたたき、外から戻ってきたお父さんにも「倉ちゃん、選挙出るんやと。それで今日、わざわざ来てくれてん。応援て何したらいいんやろか。オレに何ができるやろか」と熱心に尋ねる。もともと無口なおじさんは、「おお、そうか」と頷いただけで、あとは黙って家の中へ入っていった。その後も嬉しそうに佐久ちゃんは「なんかあったら、いつでも言うて来てや」と繰り返す。熱い友情を感じさせる言葉が、この数年間の距離を埋め、二人を仲のよい幼馴染に戻してくれたようだった。
 佐久間君の子どもたちも、初めて見る来訪者を興味津々で出迎えてくれた。居間に上がり、大学卒業後、進学塾で働いていたことや、金森さんのこと、毎晩選挙運動に歩いていることなどを話した。佐久ちゃんの隣りには、良美さんも座っている。身近で力強い支持者が、一度に二人もできたのである。三人で時間を忘れて話し込み、柱の時計を見上げると十一時を過ぎていた。二人の子どもたちは、すでに床に就いている。
 家の前の道まで出て見送る佐久ちゃんと、お互い「ほな、おやすみ」と片手を上げて別れた。帰り道は、すでに真っ白に凍りついていた。自宅まで、百メートル足らずの道のり。雪明りの中を、転ばないように注意しながら、少し浮かれて、時折、長靴をスケートのように滑らせて歩いた。
 慌ただしく年が暮れ、選挙運動の中で全く気が休まらないままに新しい年を迎えた。
 星野川の市議会議員選挙は、二月に行われる。そのため、一月の第一日曜に開かれる各地区の年明けの総会で、その地域及び近隣に住む候補者は、新年のお祝いの挨拶とともに立候補の演説をすることになっている。県議選は五月だが、規模の大きな選挙なので準備期間も長い。県議選の立候補者がまず挨拶をし、次に市議候補が続く。
 総会には、町内の人たちが百人以上集まっている。その場で、昨年の決算報告や今年度予算への承認が求められる。地区総会は、市議会よりも身近な直接民主制の議会である。
 集会所に入ると、すでに県議候補の石川博人氏の挨拶が始まっていた。石川氏が演説を終え、僕と父が順番を待つ控え室に戻ってきた。「話は聞いてる」と父の手を握り、片手で肩を叩き、それから僕にも「がんばってな」と声をかけて出ていった。
 次に挨拶に立ったのは、すぐ隣の町に住む藤元という現職の市議で、任期中に自らが営む保険の代理店で横領事件を起こして、起訴猶予処分になった人である。議会で辞職勧告も出されたが、その後も議員を続けている。
 百人余りの前で演説をするのは、僕にとってこの日が初めてだった。五分ほどの間に、今の時代の心の問題、産業や財政の問題を取り上げ、闇雲に公共事業を行うのではなくて、星野川の豊かな自然を守り、子どもたちに優しい心を育み、また環境という点に特化して新たな産業を興していくことを説いた。多少緊張しながらも、目の前に座る人たち一人ひとりの顔を見渡しながら、ゆっくりと話していった。
 続く区長の第一声は、「今のお話を聞いていて、率直に言って『若いな』と感じました」という一言だった。その口振りには、「青臭いな」というニュアンスが込められていた。次に、同じ町内から立候補する僕を応援はするが、馴染みがないため推薦はしないと話した。地区が求めるのは、あくまで道路や川の整備であって、星野川市の将来ではない。そう言われているような気がした。
 総会のあった翌週の日曜、一気に町内の家々を回った。
 何百という人と会ううちに、少しずつ反応が分かってくる。「若い人に期待してるで」と言って、積極的に手を握り返す人、選挙運動の労をねぎらい、社交辞令で「がんばってくださいね」と言う人、他の候補者を応援しているためか、迷惑そうな表情をする人。多くの人の反応を見比べるうちに、その人が支持者なのかどうか、次第に見分けられるようになっていった。
 そして、熱心に応援してくれる人に会うことによって、冷たい反応を返す人の家でさえ、他の支持者のために回っているのだと思えるようになった。
 そうやって活動を続けるうちに、遠く離れた町の婦人会にも呼ばれ、選挙演説を行えるまでになった。少しずつ自分の名前が浸透していっているのが、実感できるようになっていた。
 市内各所へ挨拶に回っている途中、携帯電話に父から連絡が入った。「すぐに事務所へ戻って来てくれんか。町内会のもんらが話がある言うてるで」。苦々しい声の調子から、あまり良い内容でないことが伝わった。
 市内じゅうを回ることに一生懸命だったので、事務所の様子については詳しいことを知らない。慌てて戻ると、父の姉である中畑のおばさんが一階で僕の帰りを待っていて、その場で簡単に事情を聞かされた。
 事務所は、妹の純子が経営している輸入雑貨店の店舗を片付けて使っていた。当然、選挙が終わるまでの間は、閉店休業である。毎晩そこに、町内会の面々十数名が集っている。暖房が効いた二階の部屋で、うちが用意した缶コーヒーを飲み、お菓子をつまみながら話をしている。「エアコンだけでは寒い」と言われ、ストーブも用意したそうだ。
 そのあいだも、僕は挨拶に回っていた。頼んで歩くことで、はじめて票につながる。ストーブの前で手をかざしているだけでは、票は集まらない。何も先に進まない、そんな話し合いは無意味じゃないかと憤りを覚えた。小田原評定の末に、難攻不落の堅塁も落城したのだ。
 さらに、「会議用に喫茶店を準備してほしい」とも言われたそうだ。飲食代はもちろん、うちのツケである。そして今度は、候補者本人と話がしたいという要望が出た。「市内を回るのではなく、もっと町内に住む自分たちと一緒に話し合ってほしい」。その求めに応じて急遽挨拶回りをやめ、町内会の人たちの前に顔を出すことになったのである。
 「いったい、あんたはうちらの町内のために何をしてくれるんや」と、最初から詰問口調で話し合いは始まった。どうやら、ここに来ている人たちは、白鷺町の整備を約束してほしいようだ。そう聞いた郵便局員の禿げた頭には、汗が浮かんでいる。夜の屋外は零下だが、室内は三十度くらいあるようだ。二年前にオープンした妹の店はまだ新しく、エアコンもよく効いた。そばではさらに、ストーブの火が赤々と燃えていた。
 「星野川市の将来を見据えながら、白鷺町のことも考え、市全体として調和の取れた町づくりを進めていきたいと考えています」 そう切り出し、年明けの総会で話したことを説明しようとすると、「わしらは、そんなことを聞くために、ここに集まっとるんじゃないんや。あんたにもっと、白鷺のために働いてもらいたいだけや」と呟くように誰かが遮った。
 大きな顔の男がニヤニヤしながら、「やってもらいたいことは、いろいろあるんやで」と言った。この人は、設計事務所を経営している。議員の身近に接していれば、公共事業で自分のところに直接仕事が入ってくる。そのため、今からすでに県議選の候補者に付いて、運動に回っているようだ。
 「やってもらいたいことって何ですか。それを実現できるように努力します」と聞いてみた。すると、「いっぱいあって、ここでは言えん」と答える。個人的な要望は、ここに集まる全員の前では言えなくて当然だろう。一本の道の拡幅工事は、ある人には利益でも、他の誰かにとっては土地を削られるという不利益となる。
 利益が一致しないことは、公にできない。ここにいる人たちは、それぞれが個人個人の要望を持って集まって来ている。その思いを口にはできないが、それを候補者に求めている。個別の思いを満足させられるような、全員に共通する答えなどある訳ないじゃないか。そう思って口籠もると、隣に座っていた中畑のおじさんが「本人は町内のために働きたいと言ってるんや」と弁護してくれた。
 そうだ。それが、ここにいる人たちの要求に応える模範解答なのだ。市議候補でありながら、星野川市のことを語ったのでは、この場では全く通用しない。「当選したら、町のためにがんばってもらえばいいんやで」と、父の幼馴染である白石さんが何とか話し合いをまとめた。
 最後に、「これからは、ちょくちょく話し合いに顔出すようにしてや。聞いてもらいたいことは、いくらでもあるんやで」と、設計事務所の男がチェシャ猫のようなニヤニヤ顔で締めくくった。

 町内会の人たちが毎晩のように集まっているのは、事務所にいて候補者と顔馴染みになることが目的である。そのほうが、後でいろいろと頼みやすい。
 しかし、選挙まで一ヶ月を切った今、少しでも票を集めて回らなければならない。事務所でじっと話している余裕はなかった。本来なら選挙対策本部として、町内会にその手伝いをしてもらいたいのだ。
 少しずつ焦りを感じていた。金森さんの選挙の話に乗ったとき、その御輿で当選まで行けるものと考えていた。亡くなった後も、父の選挙戦術で乗り越えられると思った。
 今、大きく足元が揺らいでいるように感じる。
 二月九日の告示まで三週間余りを残すだけとなり、切迫する時間の中で、僕自身の力で支援組織を作る必要性を感じていた。
 高校からは受験を考え、進学コースのある市外の私立へ通っていたため、星野川で頼りにできる友人は、小中学校の同級生だけである。卒業アルバムの名簿を頼りに、一人ひとり電話で所在を確かめ、会いにいくことにした。十年以上離れていて、付き合いもなかったから、これまで躊躇していたが、もうそんな余裕はない。臆せず、片っ端から電話をかけた。
 しかし調べ始めてすぐに、その多くが星野川から出て行ってしまっていることが分かった。ここで働いているのは、四分の一程度。あとは進学や就職、結婚を機に、市外や県外に出て暮らしているようだ。
 こうやって若い人が出て行っているという現実には目を向けず、先細りする税収にも構わず、住民は地区の公共工事を優先的に考えている。不況で倒産する企業も多い中、ますます働き口も減るだろう。さらに働き手はここから出て行くだろう。この町の人の多くは、そのことついて一切考えず、これから先も今まで通りのことができると思っている。
 すでに慣習となっている政治手法に楔を打ち込むことができるのは、このわずかに残された若者かもしれない。小さな楔を研ぐような思いで、一人ずつ電話をかけていった。
 佐久ちゃんの家を、もう一度訪ねた。町内会が頼りにならない分、同級生で支援組織ができないかと考えていた。その相談をするつもりであった。
 今の後援会の状況を説明するあいだ、佐久ちゃんは下を向き、ずっと黙ったままだった。居間に並んだ夫婦二人は、どこか気まずそうな様子である。ようやく佐久ちゃんは重い口を開くと、親会社である建設会社の息子が市議会議員に立候補するため、その人を応援することを告げた。
 呆然として、返す言葉もなかった。
 その二十五歳の候補について、佐久ちゃんは「愛想よく、自分らにも『ご苦労様です』て挨拶してくれるんや」と言い訳のように自慢する。ただ裏切られた寂しさがあるだけで、責める気持ちは起きなかった。「愛想いいのはいいなぁ。僕なんか笑うのもぎこちないでな。ポスターの写真撮るのも苦労したんや」と苦笑するのが、精一杯だった。
 「私も職場で頼まれた人がいて、その人を応援せなあかんで。ごめんのぉ」と、良美さんが追い討ちを掛ける。節目がちにではあるが、さも当然であるかのような口ぶりである
 居たたまれず、十五分ほどで家を出た。その日は久しぶりに晴れ、昼のあいだに道路の雪はとけていた。街灯に照らされ、雪どけ水に濡れたアスファルトが黒く光っている。引きずる長靴は重く、家までの道のりが遠く感じられた。

第十七話 「噂」

 告示日まで二週間となり、そろそろ選挙運動用のワゴン車に載せる看板を用意しておく必要があった。
 遠い親戚に、補欠選挙で無投票当選し、本選挙までの八ヶ月間だけ市議会議員を務めた人がいる。看板については、この人が使ったものを譲り受けることにした。候補者名を書き替えて使うのである。
 丸顔で禿頭のおじさんが、「わしは家の近くの川に橋をかけるために出ただけやで、もう使わんのや」と、小太りの体を揺らして豪快に笑う。それから、まじまじと僕の顔を見て、「確かにいい男や。評判どおりや。でもな、いい男やけど仕事がないで選挙に出るという噂が立ってるで、気ぃつけなあかん」と急に真顔で忠告した。
 たしかに、星野川市には仕事がない。大卒の勤め先と言えば、市役所、銀行、学校ぐらいだ。大学で県外に出た者はほとんど、そのまま県外で勤め、星野川には戻ってこない。希望する仕事がないからだ。
 僕も金森さんからの話がなければ、きっと一生戻ることはなかっただろう。この町から東京は遠く、すべてを引き払って帰るだけでも、かなりの決心とエネルギーが必要だった。
 一度流れた噂を止めることは難しい。今では、その話を本人から聞いたと言っている者までいるようだ。「足を引っ張りたくなるほど、目立っとるということや。そいつらの期待に応えて、がんばらなあかんで」 おじさんは丸い顔を笑いじわで一杯にしながら、僕の肩を叩いた。
 だが、スーパーで同じ噂を耳にした母は、何とかして噂を止めないと大変なことになると、ひどく心配そうだった。
 一月最後の水曜日、中学の同級生に集まってもらった。雪が激しく降る夜だった。告示まで残り十日である。
 星野川に残っている者で、連絡が取れたのは十二人。集まったのは、六人だけだった。事務所の入口で出迎えて、二階に上がってもらう。下の部屋では、父と母が正座して迎え、丁寧に頭を下げて礼を言った。
 十三年が経ってもほとんど変わらない人もいれば、激変している者もいて驚かされる。陸上部所属で百メートル十一秒台のスプリンター田代君は、すでに中年の体型になり、記憶との照合に手間取った。
 さらに驚いたことがあった。
 「こんばんは」と入ってきた女性の、雪に濡れた黒々としたショートカットの前髪をかき上げた姿が、あまりに輝いて見えたのだ。一目見て、美しい人だと思った。その瞬間は迷ったが、すぐに誰か分かった。
 幼稚園の先生をしている香山雪恵さんだ。同級生の住所を調べるために卒業アルバムをめくったとき、集合写真の中の可愛らしい香山さんに目が留まったほどだ。当時は何とも思っていなかったのだが、今写真を見返してみると、その可愛さは誰もが認めるものだと思う。
 しかし、その延長線上にある成熟し完成された美しさまでは想像していなかった。黒いハーフのダウンジャケットに細身のストレートジーンズ、ショートブーツ姿は、ボーイッシュな活発さとともに、シンプルな装いで落ち着いた大人の雰囲気を感じさせる。流行に敏感な都会の女性と比べても遜色なく、どこにも無理がないぶん自然でかっこよかった。
 みんなでお互いの近況を報告し合い、僕は立候補までの経緯を話した。それから十枚ずつ名刺を配り、知り合いに渡してくれるように頼んだ。
 もう同級生による支援組織を作る気持ちはなかった。
 「佐久ちゃんも白鷺町なんやろ。一緒に運動してくれんのか」という田代君の厳しい問いかけに、「仕事が忙しいらしいんや」と苦笑する。この大雪では、建設現場の仕事は休みのはずだ。苦しい嘘だった。
 大粒の雪が激しく舞う。告示まで三日である。
 父の運転する車で、本城市に向かう。普段なら一時間の道のりだが、降りしきる雪に渋滞し、二時間以上かかった。かつて父が議長秘書を務めた県議会議員の門先生を訪ねたのである。出陣式での応援演説をお願いするためであった。
 門先生は、西郷隆盛のように恰幅のいい人で、まさに政治家といった雰囲気である。急の申し出に対しても、「おお、分かった。応援しているから、精一杯がんばりなさい」と快く応じる。
 建設会社の社長で二世議員ではあるが、その政治姿勢に私心はなく、常に県政を第一に考えている立派な人であると、帰りの車中、父は語った。人生意気に感ずるとは、こういう人を言うのだと。
 告示の朝、冷たい雨が降っていた。
 事務所の横にある運送会社の駐車場を借りて、八時から出陣式を行った。
 集まったのは、大半が町内の人である。一週間前には同級生の家を回って、出陣式に来てくれるように頼んでおいたのだが、姿が見えたのは小学校からの友達の藤山君だけだった。日曜の朝早く、しかも雨だったからかもしれない。近所から集まってくれた人たちを見る限り、地域代表という感が否めない。
 門先生は応援演説の中で、「金森先生と私と倉知さんのお父さんと三人で飲んだ席で、金森先生が私に『今度、倉知さんの息子さんを市議に出すから、しっかり応援頼むな。彼を私の跡継ぎにするつもりやで』と言われたのが、私への最後の言葉になりました。私はその遺言を叶えるために、どうしても倉知さんを勝たせてやりたいのです。生涯を通して、県政のため、星野川市のために尽力された金森先生の思いが叶えられるよう、みなさんにもどうか力を貸してやっていただきたい。心からお願いいたします」と熱弁を振るった。
 初めて聞く話に不思議な感銘を受けながらも、ここに集まる人には市政や県政は縁遠い話なのかもしれないと冷静に感じている自分がいた。
 雨は小降りになってきた。もうすぐ雪になるのだろう。すでに、必勝の文字が入った鉢巻はびっしょりと濡れて、額から眉、瞼へと雫が伝う。ひどく緊張していた。興奮と言っていいかもしれない。いよいよ選挙戦が始まるのである。
 壇上まで三段の階段を上がるとそこからは、傘を背中に傾けてこちらを見つめる人の顔が、はっきりと見えた。マイクが震えないように、両手でしっかりと握り締める。冷たい雨の中で、顔が熱くなっていく。赤くなっているかもしれないが、びしょ濡れの姿からは誰も緊張した様子は読み取れないだろう。
 胸は高鳴っていた。
 出陣式の前に白石さんから「町内のためにがんばる」という内容を演説に盛り込んでほしいと言われ、急遽話を変更したことに戸惑いがあったからかもしれない。これまで何度も話してきたことであったが、途中を飛ばしたことに気づいて余計に焦る。それでも何とか辻褄を合わせて話をまとめ、無事に演説を終えた。
 車に乗り込む前に、集まってくれた人たちと握手を交わす。
 最後に門先生の手を両手でしっかりと握り、大きな声でお礼を言った。「がんばってな」という太く力強い言葉に応えて、もう一度握手をしてから、ワゴンの助手席に飛び乗った。
 まず、自分の町内から回り始め、次に近隣の村へ向かった。そこから西の山際にある村々を走り、いったん市街地を抜けて、市の東側の村部へ到るというのが、初日のコースである。これで大雑把にではあるが、市全域を回ることができる。翌日からは一日目のコースで漏れた場所や駆け足で回った場所を重点的に回り、最終日に市の中心部に戻り、選挙戦を終えることになる。
 選挙カーの後部座席には、ウグイス嬢と妹が座っていた。ウグイス嬢は、バスガイドを二十年以上勤めたベテランである。候補者の名前を力強く、上手に抑揚をつけて繰り返す。その時々に応じて、応援をお願いする言い回しを変える。地区が移れば、町名を入れて、その地区の人に向けて呼びかける。お茶で喉を潤すあいだだけ、純子が交代した。はじめは照れながらであったが、ベテランの喋りを横で聞き、またアドバイスを受けるうちに、段々と上手になっていった。
 ゆっくりと車を走らせていると、支持者はスピーカーが繰り返す名前を聞き、ある人は窓から顔を出し、ある人は外へ出て、手を振ってくれる。手を振る人を見かけると、車を降りて駆け寄り、「よろしくお願いします」と握手をする。「がんばっての。応援してるで」という言葉に、「ありがとうございます」と頭を下げる。その繰り返しである。
 雪に埋もれた田畑を抜ける道を走っていると、向こうに女の人が数人集まって、手を振るのが見えた。五十メートルくらいあるだろうか。長靴では少し時間が掛かるが、車を降りて走ろうかと思った。すると、車はその手前の二股に分かれる道で、その人たちが待つ道と逆のほうへ曲がった。運転手は、いつも事務所に集まっていた町内会の一人である。痩せて背の高い男は、苦虫を噛み潰したような表情で運転を続けた。町内会はすでに、後援会として機能していないようだ。
 昼近くになり、選挙事務所に戻る。午後の運転は、母の弟である健二おじさんに代わってもらった。この人は市長選の運動員を務めたこともあり、選挙の仕方をよく知っている。支持者を見ればすぐにそこへ車を向かわせ、運転席から愛想よく「おんちゃん、頼むでの」と声をかけた。
 月曜日、車は区画整理で新しく造成された町を走っていた。雪道をゆっくりと自転車で走るおばさんの横を通りすぎる。「よろしくお願いします」と声をかけると、おばさんは「あんた早稲田やな。がんばってな、応援してるで」と応えた。新しくできた町では、古い町内意識が薄く、若さや学歴も評価の対象になるようだ。
 次に昔ながらの商店街を通ったとき、道端で立ち話をしていたおばさん二人を見つけ、すばやく車を降りた。「よろしくお願いします」と笑顔で握手を求めると、「浩一ちゃんから聞いてるで」といった右側の女性の表情が、凍りついた雪道のように冷たく硬かった。
 浩一ちゃんというのは、事務所で禿げ頭に汗を流しながら「町内のために何をしてくれるんや」と責めた郵便局員のことであり、この場合の「聞いてる」というのは「頼まれている」という意味なのだが、僕自身の選挙運動の統計から判断して、この反応は明らかに不支持である。支持しないというのは無関心とは異なり、別の誰かを応援しているか、ただその候補者が個人的に嫌いだということであり、少なからず落選を望み、できれば悪い噂を流して足を引っ張ってやりたいという立場である。冷たい表情と力のない握手が、それを物語っていた。
 どうやら後援会内部には、複数の敵がいるようだ。
 選挙運動をすると、人の気持ちが見えてくる。三ヶ月余りの間に、多くの人に会い、支持、不支持、無関心という、それぞれの反応を数多く見続けているために、統計的に相手の態度から気持ちが読めるようになってきている。これは自然に身についてくる感覚であり、また選挙の時にだけしか相手の反応が現れてこないが、うまく説明できないけれど、かなりの確率で合っていると思う。
 告示の数日前から、毎朝のように、ゴロ新聞が自宅に訪ねてきていた。一見やくざを思わせる胡散臭い男だ。
 県内で発行されている政治の情報誌がある。金を払えば良い記事を書き、払わなければ悪く書かれる。もちろん、そんな付き合いをするつもりはない。同じように県庁にも訪ねてくるらしく、対応に手慣れた父が毎朝追い返していた。
 政治にたかる者は、さまざまいるようだ。選挙によって、さもしい心に触れる機会が多くなっている。
 三日目は、すっきりとした青空が広がっていた。天気予報によると、明日からはまた雪模様の冬空に戻るという。
 市街地を走っていると、ワインレッドのプジョーがワゴン車の横を走りぬけ、コンビニエンスストアの駐車場で止まった。降りてきたのは、香山さんだ。「がんばってー」と大きな声で手を振る彼女に、少し照れくさい気持ちで「がんばるよ、ありがとー」と力いっぱい答えた。
 その後のトイレ休憩で聞いた話では、後ろに連なる選挙カーでは「誰や、あのべっぴんさんは?」と車内が騒然となっていたらしい。結論は、妹の友達ということでまとまったという。僕と美人の接点が浮かばなかったことに不満を隠せず、あくまで僕の同級生であることを主張した。
 その夜、香山さんに電話をかけ、園児のお母さん方に挨拶に行きたいことを伝え、お迎えの時間を教えてもらった。そして昼間のお礼を言い、選挙カーでの騒ぎを伝えた。「私をおだてても、何もあげないよ」と笑う香山さんの声は、小さく可愛い鈴のように優しく弾んでいた。
 翌日、幼稚園に向かう途中に、小学校の前を通りかかった。ちょうど低学年の下校時間である。「めっちゃ若い」「みんなおっちゃんばっかやのに、この人めっちゃ若い」と叫んで、子どもたちが寄ってくる。二、三人の子どもが「それちょうだい」と、僕の振っていた青いリボンを指差した。さらに「ぼくも」「わたしにも」と五、六人が集まり、また十人が走り寄る。渡し終わるまで、車は立ち往生した。
 幼稚園の前で車を降りて、若い運動員数人とともに立ち、「お迎えご苦労様です。よろしくお願いします」と挨拶をしていると、迎えを待つ園児たちが「ゆきちゃんの友達なんか?」と興味深そうな顔で集まってきた。子どもたちが香山さんのことを友達のように呼んでいるのを聞いて、自然と顔がほころんだ。
 男の子がひとり、恥ずかしそうに握手を求めてきた。僕は「ありがとう」と微笑んで、その子の手を握った。すると「わたしも」「ぼくも」とみんな一斉に手を出した。周りは、可愛らしい支持者であふれた。初めの男の子は、隣で手をつなぐお母さんに「倉知は若いから、ぼくは倉知にする」と大きな声で力説しながら帰っていった。選挙権は持たないものの、小さな支持者たちの頼もしい応援が、ほんのりと僕の胸を温めた。
 木曜には雪が舞い降り始めた。前日の曇り空から、少しずつ天気は崩れてきている。そんな灰色の空の下を、ゆっくりと選挙カーは進む。
 星野川の市街地を南北に走る縦筋は、東の本坊通りから始まり、西へ順に二坊、三坊と呼ばれ、五坊の次の寺社通りで終わる。寺社通りはその名の示すとおり、たくさんの神社仏閣が連なる道である。また東西の横筋は、街のメインストリートである大路通りに始まり、朝市の立つ一条通り、それから北へ下って、二条、三条と続き、最後の北堀通りには城を守るための堀が流れている。これが、江戸時代から続く星野川の城下町である。
 大路通りから寺社町通りへと曲がったところで、手を振るおばさんを見つけ、ワゴン車から飛び出した。駆け寄って握手をし、「ありがとうございます。よろしくお願いします」と声をかけ、握手を求めた。
 すると、おばさんは「やっぱり、いい男や。写真見たんや。いい男や。がんばってな」と強く手を握り返した。驚きながらも「ありがとうございます。応援お願いしますね」と笑って、ワゴン車に戻った。車が走り出してもまだ、「いい男やー、がんばってのー」と大声で手を振ってくれていた。
 そんなことを女性から面と向かって言われたのは、初めての経験であり、かなり面映い。自分の顔の程度は、十分知っているつもりだし、特別もてた経験もない。アイドル歌手でもない限り、なかなかできない面白い体験だった。
 選挙終盤の金曜日は、土砂降りの冷たい雨だった。
 冷え込んでいく天候とは逆に、選挙戦は次第に熱を帯びてきていた。
 「豊ちゃん、がんばってな。おんちゃんらは何もしてやれんで…ごめんのぉ。誰のためでもない、自分のためや思うて、がんばれなぁ」
 選挙事務所から僕を送り出すとき、母の実家である天神町のおじさんが涙を流した。涙の見送りは、前日の木曜から最終日の土曜まで三日間続いた。その度にもらい泣きしそうになるのを、奥歯を噛み締めてこらえ、心の中で「自分のためじゃない。星野川市のためにやってるんや」と答えた。
 もはや自分のためにはできなかった。地盤や事務所の内情を考えると、状況があまりに悪すぎて、誰か大勢のため、世の中のためと思わなくては、自分を納得させることができなかった。自分を支えていたのは、感傷的なヒロイズムだと思う。自分のためを思うなら、ただ逃げ出したいと考えただろう。
 「苦しい選挙戦を戦っております」
 車上のスピーカーが訴える。身を乗り出して手を振っているために、髪と鉢巻、上半身はずぶ濡れになっている。
 「よろしくお願いします」
 傘を差し、小さな子どもを連れて歩いていたおばさんに、車窓から声をかけた。振り向いたその人は、月曜に学歴を評価してくれた人であった。
 「もうちょっとやで、がんばっての」という温かい声援。その気遣いに救われた気がした。たった一言で、すべての苦労や苦痛が報われるのである。
 学歴については、こんなこともあった。
 「候補者、降りて来い!」
 家の窓から顔を出した男性が叫んだ。あわてて車を降りて駆け寄ると、仲間と飲んでいる最中らしくひどく酔っていた。缶ビールを差し出して、「これ持ってけ。わしも早稲田やでな。早稲田の者は皆、あんたを応援しているでな」と力強く手を握る。
 しかし、このとき後続の車からは僕が絡まれているようにしか見えず、冷や冷やしながら心配していたことを事務所に戻ってから知った。
 家の窓から僕の名刺を見せたおばあさんがいた。「わしの孫も早稲田に行ってるんや」と、窓際で優しく手を握って語りかける。入学試験に向けて一生懸命がんばっていたお孫さんの姿が、今の僕の姿と重なったのかもしれない。早稲田の名に特別な思いがあったのだろう。
 天神町のおじさんの涙や支持者の手の温もりに触れて、僕も段々と熱くなってきていた。雨や霙、雪の中を窓から身を乗り出して手を振っていると、普通の精神状態ではいられなくなるのかもしれない。
 小学校の担任の松本先生の家がある山際の村まで行ったとき、先生は「まだ頼めるとこあるで、名刺渡してくるでの」と元気に手を振った。その気持ちがありがたくて、「こんな瀬戸際になっても、まだ一生懸命、僕のために運動してくれてるんや」と感極まって、先生の言葉を噛み締めながら泣いた。冷たく強い雨が、僕の顔を叩く。一緒に車に乗る人たちに分からないように、声を押し殺し、涙は雨で隠した。


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